日本に帰ってきました
先週土曜日の夜遅く、関空に到着し日本に帰国した。
私の感覚では2、3週間の滞在も2か月の滞在もそんなに大差ないなぁ、と思っていた。
でも 帰国して自宅に戻った時、まず、トイレットペーパーをトイレに流せること、床がつるつるでざらざらしていないこと、足の裏が黒く汚れず、綺麗な色をしたままであること、お風呂にはいれること、シャワーの水圧が高く、水やお湯をふんだんに使えること、と数えたらきりがないくらい、 そんな今までは当たり前だと思っていて、何回もマイソールに行って慣れているはずなのに、 そんな日本の綺麗さと便利さに感動している自分がいた。
決してマイソールが嫌いなわけでもなく、むしろ、行った時はどこか懐かしさを感じているくらいなのに、日本の快適さや便利さってなんて恵まれているんだろう、としみじみ感じていた。
でも、そんな最初の感動は毎日の生活に戻るうちにしだいに薄れていき、この生活が当たり前になってくる。
つくづく、どんな環境であっても、毎日の日常にあると、便利さも不便さも無意識のうちに当たり前のものとして受け入れていくんだな、と感じる。
でも、毎日の当たり前の環境をちょっと変えてみて、離れた視点から自分のいた環境を客観的に見てみる機会があると、当たり前だと思っていたことは当たり前ではなく、恵まれていたんだ、とか、 日本のこの環境は綺麗で恵まれているけど、インドの動物も人間も同じ生き物として共存している有様や、ちょっと不便で衛生的でなくても、日本ほど ギスギスしていない、おおらかさやざっくばらんさの良さを感じたりと、 気づけることが多くある。
不謹慎かもしれないけれど、もうずいぶん昔、高校生の頃、阪神淡路大震災に見舞われ、生まれ育ってきた神戸の街が壊滅的な被害を受け、当時通っていた高校は近所の住民の方々の避難所になり、3学期はほとんど授業が受けれらなくなった。 その時は私は受験生だったけど、大学受験の会場でも余震があっても指示がでるまでは試験を続けてください、とか、神戸のど真ん中の会場ではガス漏れがある危険性もありますが、避難指示がでるまでは試験を続行してください、とか 今考えたら、 高校に通うのにも斜めに傾いたブロック塀の横をとおったり、試験会場に行くのにも 潰れた家の横を横切ったり、としていたけど、 それが日常になると もう当たり前のものとして自分の中で受け入れていたなぁ、なんてことも思い出した。
どんな状況でも生活を続けていれば自分の中での当たり前の日常になっていく。そしてちょっと違う状況に行くことで、自分の置かれていた状況を客観視する、そこでいろいろな気づきも得られる、なんてことを思ったりする
インド、マイソールでの生活はそんな災害時のような大変さはない。ただちょっと毎日停電があったり、水がふんだんに使えなかったり、時々に食べものか何かに当たって病気になったり、と色々あったけれど、あの場所に行って毎日を過ごし、ヨガマットの上で練習できるよう健康な体をキープする努力をする、たとえ病気になったとしても、ネガティブにならず、ポジティブにいれるよう、置かれた状況で最大限の努力をして練習に望む、シャラート先生のいる環境でアーサナの練習をしている時間だけがヨガプラクティスではなく、マイソールでの生活全般がすべて修行だったような気がする。
そんなこんなで日本に帰国し、またもとの日常に戻っているけれど、暑いインドから帰国して日本は春だけど、体がうまく対応できず、風邪をひいてしまった。 アーサナプラクティスは今週はプライマリーだけ、と決めているが、インドでの練習のように朝も早く起きれず、毎日9時間近く寝てからの練習をしている。
マイソールに着いた当初も毎日9時間とか10時間とか寝れていたけど、日本に帰国してからも 体は睡眠を求めているようだ。
しっかり休養して練習をゆっくり元に戻し、今週末のヨガクラスでは万全の体に戻っているよう体のメンテナンスを心がけよう。
2か月ぶりに再会した福丸さん。相変わらずのむっちりボディ。