気づきの練習の積み重ね
毎朝練習していると、同じことを練習していても日々の調子によって体の感じ方はそれぞれ違う。
特にアシュタンガヨガでは毎朝同じポーズを練習しているのでその日々の自分の体の感じ方が変わったり、練習中の心の状態にも日々違ったりとその違いをより鮮明に感じやすい。
毎日の微細な体の感覚の変化も 毎日毎日10年近く同じことを練習していたら ちょっとの変化も気づけるようになりやすい。
最近 昔から言われていたことだけど、ヨガプラクティスはヨガマットの上で練習している時だけがヨガプラクティスの時間じゃないんだよ、と言われてきた言葉がようやく実感として理解できるようになってきた。
例えば、結婚して旦那はんと一緒に住むようになって毎日の生活をしているけれど、 ありがたいことにうちの旦那はんは自分の仕事は超激務で忙しいにも関わらず 休日になるとちょこちょこ買い物に行ってきてくれたり、天気の良い日はお布団を干していてくれたりする。
私は事務職の仕事を辞めてからは平日は時間があり、土日はヨガの仕事や練習などで外出していることが多いのだけれど、私の留守の間に家で家事をやっていてくれたりする。 でも彼は自分からはこれやっといたで、なんて主張はしてこない。 一緒に住みだしてから細々としたことも気づいてしてくれる人だけど、決して 「やってあげたで」て態度はとらないし、主張もしない。本当に空気のようにさりげなくやっててくれる。
毎日一緒に住んでいる人とだと、次第にやってくれることが当たり前に感じてしまうようになったり、感謝の気持ちが消えがちになる、と聞くこともあるけど、 ヨガプラクティスのおかげか、 「ああ、ありがたいなぁ」と感謝の気持ちが自然と沸き上がってくるから言葉にして 「ありがとう」と言わずにいられない。 やってもらった時は感謝の気持ちが沸き上がり、言葉に出して「ありがとう」といえたり、相方がしんどそうな時は今は大変そうなんだな、とお互い労りあえたり、 時には感情的に不安定になって旦那はんにあたることがあっても自分が悪かったと思えば 「ごめんなさい」と素直に言えるか、どうか、
こんな日常のささいなことがヨガの練習のおかげで気づけるようになったり、言葉にして出せるようになったような気がするのだ。
毎日繰り返しの日常生活って ついついお互いにやってもらって当たり前、とかになってしまって 時にできていないことがあると相手にむかついたちしてしまいがちだけど、ヨガの毎朝の練習はそんな 日常生活の日々のことに気づけるような、気づき、考えさせてくれるようなことを促してくれているような気がする。
ポーズの練習を毎朝して肉体が強くしなやかになって健康になっていくのはもちろんだけど、 毎朝そんな気づきの練習を繰り返し繰り返ししているからこそ、ふとした日常生活でそんな気づきを応用できるようになっていけるようになっていくのもヨガプラクティスの恩恵かな、とか思う今日この頃。