3年前の練習日記
昨日、部屋の書棚の整理をしていたら昔のスケジュール帳が出てきた。2014年のスケジュール帳。
昨年まではアシュタンガヨガを始めて以来ずっと簡単な練習日記をつけていた。 今日はどこまで練習したとか、いつどこでどの先生のワークショップを受けた、だとか。。
事務職の仕事を辞めてからはなぜか書く気がしなくなり、練習日記をつけることはなくなっていたのだけど、パラパラとめくっていたら3年前から今のセカンドのアーサナ、ポーズで苦戦していることが書かれている。。
今のポーズのところで止まってもう3年かぁ、と思った。毎朝練習していて毎朝自分の苦手と向き合って3年、未だちゃんとできていない。。
あぁ。。本当に私ってヘタレだなぁ、、3年毎日練習していてもできていない。。とちょっと落ち込んだ。
他のアーサナは出来ないなりに、体が堅くてなかなか変わらないなりに、でも努力を続けていればほんのすこーしずつの亀の歩みだけど、ちょっとずつやりやすくなってきた実感がある。
例えば、確か練習しだして かれこれ4年?5年?になるカポタアーサナは自力で両かかとが掴めないけど、少しづつ、ちょびっとずつ、足を使う感覚や胸を開く感覚や肩甲骨から腕を引き延ばすような体のいろんな部分を感じる変化が少しづつでてきたりして その探求を自分なりに楽しんでいるけれど、上に飛べないバカアーサナ、進歩してる気が全然しない。。
5月のはじめ、長野から帰って来た時は少しは前より飛べてきたかも?と思って不細工なりにジャンプしてなんとか足をつかずに着地できることが何回かできていたけど、なぜか最近再び飛べなくなり、全然できない。。
いろんなやり方をいろいろ考えたり、トライしたり、でもできない。できないと思っているから余計にできない。飛べない。。 で、そればっかり練習していて練習時間がやけに長くなってしまったり、若干手首に痛みがでてきてしまい、サポーター巻いて練習したり。。
あまりの進歩のなさに自分に腹がたったり、哀しくなったり。。
今朝も練習に行っていてそんな自分の不甲斐なさにちょっと嫌気がさした。だいたい、私は怖さを克服するのに何回も何回も練習して何年もかかってやっと怖さを克服するパターンが多い。
今は全然恐怖ではないけど、昔は恐怖のポーズだった、ヘッドスタンド、シールシャアーサナ、まともにちゃんとできるまでに毎朝練習して3年かかった。
昔、デヴィット・スヴェンソン先生のワークショップに参加して、何年たってもヘッドスタンドが怖くてできないんですけど、、どうしたらよいですか? と質問したことを思い出した。
その質問に 怖さを感じる原因は昔の記憶やトラウマなどはないですか? その怖さを克服するには時間がかかる。毎日練習して10年経ってもできなかったらその時にまた質問してください。
というような答えだった。 確かその時は練習して2年目くらいの時。で、3年目にしてやっとこさ安定してきたのだ。
でも今回は3年経過していても安定しない。。こっちのほうが恐怖が大きいってことなのかな。。頭で理屈がわかっても体が思うように動いてくれない。。
練習していると本当に自分の思考の癖を嫌というほど実感させられる。 自分の心の弱さやヘタレさをまざまざと見せつけられる。 でもそれでも投げ出さないであきらめないで練習する。 でも時に出来なさのあまりに何回も何回も練習しすぎて執着してしまう。
本来は短時間でしっかり集中して練習するのがいいはずなのに、失敗を何回も何回も繰り返す。
弱い自分に向き合いつつ、でも執着しすぎない、固執しない、、 ポーズの練習をして体を使いながら実は心の修行だな、とつくづく思う。。
体を使って心を見る練習をしているから、週6日、毎朝練習しなさい、という教えがあるのだろうな、とか今更ながらに思う。 頭では分かっているつもりの色んなヨガの教え、改めて意味を嚙みしめている今日この頃。