朝ヨガの瞑想
今朝は約一か月ぶりに西宮のニケタンに朝ヨガに行ってきた。普段はアシュタンガ・ヨーガの練習をしている日曜日だけど、月1回、行ける時はニケタンに学びに行き続けている。
毎回、まず慧心先生のお話を聞いて、それの後にお題を貰って1時間の瞑想、そしてその後はアーサナと呼吸法の練習を行う。
先月、先々月も参加していたけれど、その時の瞑想のお題はなんだかやたらと難しくて1時間も座っていること自体が苦痛だった。
朝7時からお話を聞いてだいたいいつも7時半すぎくらいから1時間、目を閉じて瞑想しようと励んでいるんだけど、分かりやすい内容のものだと、すんなり座っていられるけど、難解なお題だとただ目を閉じて座っていても睡魔に襲われたり、座っている姿勢がしんどくなってきたりする。
なので、難解な内容の時は「に、日本語自体が難しくて理解できないよ。。」となるけど、今日は違った。
先生曰く、 ヨーガ療法士としてヨガを伝えている人の多くは最近はヨーガ自体が大きなパワーを持っているものだからヨーガの持つ力で時には人の人生を左右するような助言を求められるようなこともあったり、ヨーガクラスを提供する先生としてずっと生活していくと、ヨーガの力を自分の力と過信してしまったりする間違いを犯してしまいそうになる場合もある。
ヨーガを伝える立場としては生徒さんが 自分で気づけるように促し、助言し、ゆくゆくは生徒さんたち自身が自立して学びを深めるようになっていけるよう、誘導していくのが伝える立場としてのあり方だと心にとどめておくことが大切だ。 てな感じの内容だったように思う。
最近、ヨーガセラピーのクラスだけでなく、アシュタンガ・ヨーガのクラスを通しても様々な方に出会う。
様々な年齢、性別、悩み、体、心の不調、一人一人異なる。 グループレッスンではそこまで深く個人個人の課題を掘り下げることはない。でもセラピーのクラスでも、アシュタンガ・ヨーガのクラスでも 「私は元気! 毎日ハッピー!」てな人は本当に少ないように思う。
直接こちらに腹を割って伝えてくれる人もいれば、断片的に伝えてきてくれる人、特には何も伝えてはくれないけれど、何か体操以外のものを求めて来てくれているのかな、と感じる人など様々だ。
でもみんなヨガの練習を楽しみ、練習を続けていこうと励んでいてくれる人達は何か、どこか今の現状から何かしら幸せの方向に向きたくて来てくれているような気がする。
そこで私はヨガプラクティスをシェアしているのだけど、自分の生来の価値観でジャッジしようとするのではなく、ヨーガの伝統的な教えを基に伝える作業を常に忘れてはいけないな、とつくづく思う。
先生も言ってはったけど、 先生、先生と人が集まってきてくれるとしても自分がえらいわけではない、自分は単にヨーガの教えを人々に伝える道具にすぎない、、と常日頃心にとどめていれば自分への勘違いもおこらないのではないですか、と
本当にそうだな、と思った。 ヨガの学びを常に深め学び続け、練習し続けて自分の血として肉とし、そして自分の昔からの価値観からの言葉ではなく、ヨガの価値観、教えを人にシェアする、、
だからそのための学びや練習の継続は必要不可欠で、伝えるために学び続けることは自分のためでもあるな、と思う。
ヨガを人に伝える、ということを仕事にした時、インストラクターとして人にヨガを伝えるようになってからこの仕事はつくづく、本当に好きでないと、続かないな、と思った。
まずクラスをしたからといって人が来てくれるとは限らないし、ヨガクラスは いわば習い事だからなくても死ぬわけでもない。 そして時給や月給で労働時間に比例して働いた時間分だけのお給料を貰えるとも限らない。生徒さんが誰もこなければお金はいただけないし、クラスをする時間以外にも自分の練習や学びを常にブラッシュアップしていかなければならない。そしてそれにかかる費用ははっきりいって今いただいているお給料では全然賄えない。
単にお金を稼ぐためだけだったらヨガを伝える仕事は選ばないほうが良い、とさえ思う。例えば事務職で語学力をいかした正社員の仕事への転職活動をしたほうがよっぽど懸命だ。
でも私はヨガを伝えることを仕事に選んだ。 そしてスキルアップのための費用は貯金かバイト、パートでもして稼ぐかぁと思っている。
クラスをして報われるまでに時間がかかるし、それも安定してるとも限らないし、もともと不安症な性格でより安定した仕事を求める傾向の私なのに我ながらよく こんな不安定な職を選んだな、と思う。
でも多くの人に出会い、ヨガをシェアし、その人達がヨガプラクティスを楽しんで自分への気づきを深め、幸せの方向へ人生が向かっていってくれそうな気配を感じるだけでとてもやりがいを感じるし、嬉しい。
企業や組織に勤めている時はある程度 所属する組織が自分を守ってくれるけれど、今はその守ってくれるバリアはない。 いわばむき出しの自分しかいない。
でも自分は今の仕事を選んだ。 自分の力を過信するわけでもなく過小評価するわけでもなく、ただヨガの教えを学び続け、シェアするアウトプットを積み重ねていこう。
なんて思った日曜の朝でした。