16年目の母の命日に
今日は16年目の母の命日だ。 朝から新開地で自分の練習をして、マイソールクラスをして、その後はココノバでもクラスをして帰途についた。
そろそろインド行のためのビザの準備をしないといけないので、書類の準備やら写真を撮りにいったりやらしていた。
16年目にもなるともう命日だからといって特別なことはしない。 でも今年はいつになく母のことをよく思い出す機会が多くなった。 私の記憶の中ではアメリカ同時多発テロ 9.11が起きた年に母は逝ってしまった、という記憶だけで、何年経過したのかもなんだか怪しいくらいなんだけど、今年ばかりは否応なく母のことを思い出さずにはいられない年だった。
昨年に長年の事務職の仕事を辞め、マイソールで2ヶ月練習したい、という強い願いが叶い、今年の2月3月にマイソールでシャラート師匠の下で練習を積み、帰国してからはひょんなことから新開地でマイソールクラスを開催することとなり、またその3ヶ月後にはそこから歩いて10分ぐらいの場所にあるココノバでアシュタンガ・ヨーガのクラスをすることになり、気がつけば、兵庫区、という場所で3か所もアシュタンガ・ヨーガのクラスをしていることになっていた。
最初の一歩目は昨年の10月、これもまた人に頼まれて始めは開催することになった兵庫駅前でのアシュタンガ・ヨーガクラス、やるからには一生懸命やろう、と取り組んで今月でちょうど1年が過ぎた。
今年、インドに行っている時はまさか自分が新開地でマイソールクラスを開催するなんて考えてもいなかったけど、ひょんなことからそんな話になり、めちゃくちゃ迷っている時だった5月の始め、長野の善光寺に練習に行った時に同室だった練習仲間に「かよちゃん、 お母さんが大丈夫だよ、って言ってるよ」と母のことは詳しく言っていないのにも関わらずポン、と言葉を投げかけられたことで、母のことを考えることを封印していた思いが次々にあふれ出てきた。 まだその時は気づいていかなったけれど、その後、そこで出会った人に紹介いただいたつながりでココノバでもクラスをする、その時はまだ、ホットヨガのクラスをする、と思っていたのだけれど、スタジオ側からアシュタンガ・ヨーガのクラスをすることを提案いただいて、気がつけば去年の10月から次々と兵庫駅周辺でクラスが決まっていった。
そんな話を実家の父にした時、父がぼそっと「兵庫って、お母さんの生まれ育った街やぞ。 なんかお前兵庫の土地に呼ばれてるみたいやな。」と言ったのだ。私はその話が決まるまで全く忘れていたけど、私が生まれた病院は兵庫の海辺の近くの病院で、両親が新婚生活を送った場所だった。また、私は父から聞くまで知らなかったけど、その土地は母が結婚して私が生まれるまで住んでいた街だったのだ。
全く意識していなかったし、死後16年も経ってそんなに思い出すこともなかったけれど、あまりに偶然が重なりすぎて、善光寺での友人の言葉を思い出さずにはいられなかった。
そもそも私がヨガを始めた理由の大きな1つは母の死であった。深く意識していなかったけど、アシュタンガ・ヨーガに出会ったのは10月、昨年アシュタンガ・ヨーガをシェアしだしたのも10月。
そして母があの世に逝ってしまったのも10月。。10月25日なのだ。
あの世から「いい加減、気づいてくれないかしら。 あの世からあんたのヨガ生活応援してるんですけど」って言われてるのかな、と思ったくらいだ。 いくら霊感がなくて鈍感な私でも、こんな偶然の連続は偶然とは思えなくなっていた。
私はアシュタンガ・ヨーガに出会って少しづつだけど、体や心が変化して私は幸せの方向にベクトルが向かっているなぁ、と思えるように何年もかかってなってきた。
アシュタンガ・ヨーガに出会った当初はあまりの運動量の多さにびっくりして、でも汗をかいて無心に動いていくのが爽快だった。そのうち新しいポーズが取れるようになるのが楽しくて嬉しくて、どんどん練習にどっぷりはまっていった。 でも色々と紆余曲折を経て今の自分がいるのだけれど、アシュタンガ・ヨーガに出会わせてくれたのも、もしかしたら母の力が何か働いたのかな、と最近思う。
ヨガの練習のおかげで人生がどんどん変化して自分の思考の癖に気づいたり、自分を縛りつけていた概念から自由になってのびのび生きれるようになっていたり、パートナーに巡り合えて幸せな結婚生活を送れていたり、と私はヨガのおかげで自分で人生を幸せの方向へ切り開いてきたと思っていたけど、ヨガに出会わせてくれたり、人生を送る上でヨガと一生居られるようにヨガの恩恵を多くの人とシェアする機会を与えられたりしたのは 天国の母のおかげなのかな、と思うようになった。
アシュタンガ・ヨーガの先生は世界中を旅して教える人や、故郷とは離れた場所で教えている人もたくさんいるけれど、私の場合は、自分のルーツである兵庫の土地でクラスをしていくような巡り合わせになっているのかな、と思えるようになって、始めはどんなに人が集まらなくて苦労したとしても、頑張って続けていこう、と心から思えるようになったのは、そんな偶然の重なりのおかげかもしれない。
10年以上、心に蓋をしてきた母への想いは16年経って、やっと素直に昔を思い出してこんなことも書けるくらいまで心の整理がついたのだと思う。 16年前の私と今の私は全く別人のように体つきも考え方も変化した。
アシュタンガ・ヨーガに出会わせてくれてありがとう。 ベストパートナーに出会わせてくれてありがとう。 ヨガをシェアする機会を与えてくれてありがとう、お母さん。あなたの娘は今とても幸せです