いよいよ明日が最終日
昨日は日曜日で練習はお休みの日だった。 朝からシーツを洗濯して掃除してたら友人からランチのお誘いをいただいてランチを食べに行ってきた。ずっと行ってみたかった、カマット、というレストラン。前日のグリーンホテルのランチに引き続きインド料理屋さん。もうすぐ帰国するのでインド料理の食べ納めだ。 1時前に行ったけど、まだお客さんはまばらでミールスのおかずもヨーグルトのサラダとかは早くにサーブされたけど、肝心のカレーとかおかずがなかなか出てこなくってちょっと待たされた。 こっちの人はランチに来る時間はもっと遅めの人が多くてだいたいピーク時間が2時くらいだ。 インド人、お昼は暑いからランチもディナーも日本でのピーク時間より結構遅めが混んでいる。そんなお客さんに合わせておかずもまだできていなかったみたいだ。 料理を待つ間、食べながら昨日のシャラート師匠のお話の英語の解釈が私の理解で合っているか、私よりも随分英語が達者な友人に聞いていた。 というのも別の友人から単なる写真撮影会かと思ったら短いカンファレンスがあったということでその場に居合わせなかったので何を言っていたのか、聞かれていて、私が伝える上で合っているのか確認したかったのだ。
というのも、写真撮影会の時の話を聞きながら、何となく、つい数日前、KPJAYIのウエブサイトからアシュタンガ・ヨーガの先生の名前のリストから結構な人数のオーサライズティーチャー、サーティファイドティーチャーの名前が削除されていて、それらの人達は主にパタビジョイス氏に習っていた時代の大御所の先生達なのだけれど、 フェイスブックなどのソーシャルメディアでも何でいきなりお免状をはく奪されたのか、何かしらの説明を求める声が多く上がっていたので、その事に関するシャラート師匠の回答も含まれているのかな、と思っていたのだ。 まぁ、日本人でそんなに騒いでいる人の記事は見かけなかったけれど、今のアシュタンガ・ヨーガのKPJAYIを取り巻く状況がどうなっているのか、という意味での話でもあったのかなぁ、と思い、私の勝手な解釈が入って間違って情報が伝わってはいけないな、と思ったから。
そんな話をしてランチを済ませ、買い物をして家に戻り、再び夕方そのカンファレンスの内容について聞いていた友人とお茶をしていた。 そして帰り道、どうやらKPJAYIのウエブサイトにオーサライズティーチャー、サーティファイドティーチャーの件についてシャラから公式に発表があったとメールを貰い、シャラのウエブサイトを見てみるとこの前のカンファレンスでシャラート師匠が話してはった内容が文章化されて掲載されていた。 帰り道、その記事を読みながら家路についた。 先生のリストから大御所の先生達の名前が削除されたのはちょっと残念に感じたけれど、私個人的にはこれから一層あまりオーサライズティーチャーとかサーティファイドティーチャーとか、お免状があるかないかないか、というより、関係なくその人だから習いたい、とかどれくらい真摯に練習しているか、とか先生としての経験値のほうが重要になってきて、お免状は単なる印、というかここに通いましたよーっていう程度になるのかなぁ、とか思った。もちろん、オーサライズティーチャーやサーティファイドティーチャーに認定される、ということはそれだけ足しげくここに通い、師匠と弟子の関係を築いたからこそなわけで、価値あるものなんだけど、 私ができることはここに通い続け、先生から学び続けて先生から教えてもらったことをシェアしていくだけだから私自身はただ淡々と練習していくことに変わりはないな、と思った。
そして今日はレッドクラスでの練習だった。 週末で結構沢山の人がすでに帰国したと聞いていたので、人でそんなにぎゅうぎゅうにならないかな、と思っていたけど意外と人が多くてまだいつも通りのぎゅうぎゅうな感じでの練習だった。
そして今日はチャンティングクラスが最終日だった。 チャンティング自体はいつもより短い時間で最後にラクシュミーシュ先生のお話があった。
ヨガは単なる体操ではない。自分を深く知る、自分の内面の修行だ。 そしていかに自分のエゴを減らしていくか、いかに誠実に練習を積んでいくかが重要だ。 練習でエゴを増やすようなことはそれは単なる体操であって本当の意味でのヨガの練習ではない。
生徒さんからここでの生活が終わり、マイソールを離れると思うと寂しい、と言われたけれど、ここでの生活は必ず終わりがあって、みんなそれぞれの仕事や家族、自分の果たすべき責任がある。 自分の親に対して、パートナーに対して、子供に対して果たすべきカルマ、責任がある。それぞれの為すべき仕事がある。 ここでの生活を終えたらそれぞれの場所で自分のカルマを果たしなさい。
っていった感じの事を話してはった。 彼の話を聞きながら
ああ、ここでの生活ももうすぐ終わりだなぁ。 私は日本に旦那はんを置いてきた。旦那はんの理解があってここに来れている。私がいない間、旦那はんは一人暮らしでとっても仕事も忙しくて大変なのに何の不平も言わず送り出して私を待ってくれている。父も旦那はんがOKって言ってるんやったらおとんは何も言わへん。思う存分練習に励んできなさい、と送りだしてくれた。それに高齢で持病があるのに私に心配かけないように自分の健康維持に努めてくれている。 自分のクラスも二か月全部お休みして生徒さんを置いてここに来た。 家族や周りの理解があってこそ、ここに来れて練習できた。 そんな生活ももうすぐ終わりだ。 私はまた日本に帰って、自分の果たすべき責任をしっかり果たそう。 寒い日本に帰ってクラスを再開してもあまり人は来ないかもしれないけれど、一日一日、シャラを開け、自分の練習をして生徒さんが来ても来なくても毎日を積み重ねていこう。と思った。
で、何故かまた涙腺崩壊で涙が顔を伝っていた。 自分で思っていたよりもここに来ることへの思い入れが大きく、まだ家族やクラスへの想いも強く、前シーズンのラクシュミーシュ先生のお話とはまた違ったことで泣いていた。
やはりここに来て先生との練習を積み重ねていくこと、そして同時にヨガ哲学などの学びも深めていくこと、そしてここで生活していくことで毎回いろんな気づきや学びがある。
ここに来て練習するのはすごい倍率のレジストレーションに通ることがまず必要で家族の理解、仕事の調整、お金の工面等簡単ではないけれど、それでもここに来て練習したい、という強い想いがなければ実現しない。 でも今回もここに来れた。 そして明日で2ヶ月の練習が終わる。 今シーズン最後の練習、最後まで集中して練習に励もう。
いつの日かのチャンティングのラクシュミーシュ先生。 欧米人の生徒さんの赤ちゃんを抱っこしてた日。今回も沢山の赤ちゃん連れや子供連れの人が来ていた。