春はもうすぐ
今朝は帰国してからのいつもの朝よりも随分と暖かくて、一人、クラスの前に新開地 楽の森で練習していてちょっと暖かいだけなのにとてもハッピー気分で練習ができた。
今年の日本は例年になく極寒で毎日寒さに震えていた。 広い楽の森のスペースでまた夜も明けない外は暗い中、ストーブの前にマットを敷き、黙々と練習していても寒さでなかなか身体が動いてくれない。身体を痛めていてもインドの暑さの中、大勢の練習仲間と一緒に練習し、先生がいてくれる状況での練習とのあまりの違いの大きさに、ちょっと寂しさや孤独を感じながら練習していた。 でも今朝の暖かさで同じ一人の練習でもなんだか嬉しくて身体も動かしやすかった。
アシュタンガ・ヨーガの練習を始めて以来、毎朝練習を積み重ねていく日々は自分の心や身体の状態に気づき易くなっていっただけでなく、季節の変化や空気のちょっとした変化も敏感に感じるようになってきた。毎朝毎朝、どんな時もヨガマットの上に立ち、練習しているからこそ気づける些細な変化で幸せや嬉しさを感じたりできるようになった。
インドでの練習や帰国してからの自分の練習、最近のヨガの世界を見ていて感じるのだけど、人は大人になればなるほど、年を取っていけばいくほど、理屈や理論で物事を理解しようとするようになり、何か自分が納得がいくような説明や理論を欲するようになる気がする。 自分が納得がいく情報を外から得ようとしてそれこそ、スマホをいじり、インターネットの世界に正解を求めようとする。
でもヨガの世界で本当の意味でしっかり練習が進んでいくということはその反対でいかに頭で考えることを手放し、心で感じれるようになるか、心の声に耳を傾けられるようになるか、自分の心の中に答えを見つけられるようになるか、で情報を外から得ようとする頭でっかちな自分を軌道修正していくことなのかな。と思うようになった。
例えば、ヨガの世界でも、身体を使ってポーズを取るためにどこの骨をどう動かして、どこの筋肉を意識して使う、とか、解剖学的な観点から理解して体を動かそうとする、とか理屈で理解しようとする、のではなくて、体感、体の感覚で理解する、頭ではなく心で感じれるようになる、って事なのかな、と思う。
最近とても感じるけれど、理屈や理論で頭でっかちに理解するのは私の場合はその傾向がとても強く、逆にシンプルに心の中に答えを見つけ、体感で掴んでいく、という方がとても難しい。 だって今まで社会で大人として生きてきた働き方、生き方は理屈で理解してきた生き方だから。今までの生き方と逆のパターンを頭でなく心から実践できるようになるにはとても時間がかかる。
まだヨガの練習を始めて間もないうちは知識として体の動かし方やポーズの取り方、解剖学的な学びも、下地としてアリだとは思うけれど、実はシンプルに呼吸、目線、ポーズの3つだけに意識を向けて集中し、心で感じれるようになるほうがよっぽど難しい。 昔、アシュタンガ・ヨーガの練習を始めた頃、ヨガの世界では練習を始めて10年は初心者だ、ってある先生が言ってはったのを思い出し、 10年初心者ってこういう意味なんだな、と最近になってやっと理解できた。 それは体がどれだけ動くか、とかいう意味ではなく、本当のヨガの練習の意味を理解できているか、ということなのかな、と。
でもまずは例え体操であってもアーサナ(ポーズ)の練習を地道に積み重ね、身体の変化を通して心が少しづつ変化していくのが始めの一歩なのかな、と思う。 本当の深い意味での理解までは時間がかかるけれど、まずはポーズの練習をして、練習を楽しみ、続けていくこと、ヨガマットの上に立ち、練習することで見えてくる世界は少しづつ変わっていくと思う。
なんてふと思った。
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