呼吸で執着を手放す
最近また背中、というか腰を練習で痛めてしまったみたいだ。 先週レディースホリデイ明けに練習していて恐らくカポタアーサナで休み明けなのにがっつり後屈して筋肉が準備できていない状態でやってしまい、その日の練習はその後腰の筋肉の筋違いみたいな感じになった。その後急性の炎症のような状態になり、翌日もその翌日もカポタどころかドロップバックで立った状態から後屈で着地できないくらい筋肉の痛みがあった。
インドで超絶怪我の状態だったのが最近やっとマシになってきて治りかけてきたと思っていたのに、またやってしまった。。
カポタに取り組んでもう何年経過したのだろう。 4年?5年?毎日練習していて少し前まではやっと腰や背中の痛みがだいぶん少ない状態で練習できるようになってきたかも?と思っていたけれど、再び腰と背中を度々痛めたり痛めるまではいかなくても痛みがない状態で練習した日いつだったか思い出せないくらい苦しくて痛くて、な状態が再び続いている。
何年も何年も練習していても未だ自力でかかとを掴むには至らず、それでもその過程の中で足を意識したり、いかに腰椎に負担をかけず練習するかを暗中模索したり、日々身体の感覚に意識を向けて模索しているけれど模索してもまだまだ出口が見えてこない。 日本でもインドでも先生からは呼吸をしっかりしなさい、と言われるが取り組んでいる最中はいっぱいいっぱいすぎてうまく呼吸が吐けない。吸う呼吸は最近ちょっとマシに吸えるようになってきてその時にしっかり足を使えるようになってきた感覚はあるけれど、吸うことができても吐けないと、恐らく筋肉が緊張してしまい、今の痛めやすい背中と腰の状態になっているのだろうな、と思う。
先日練習に行っていて先生から呼吸を吐ききれないのは自分の心がもっと欲しい、欲しいと何かを得ようとしてるからやで、と言われて 確かにそうなんだろうな、と思った。 何年も何年も練習を重ねてそれでもできなくて、できないからまたできるようになりたい、とか執着が強くなって自分の欲を手放せないのだ。 かかとつかみたい!できるようになりたい! って気持ちももちろんないと毎朝あんな苦しいことを練習なんてやってられないけれど、それと同時に執着しすぎず、呼吸を深めることを意識できずにいるから余計に筋肉がこわばり、痛みを伴う。
この前シャラート師匠に言われたことと同じことだ。 頭では理解できるのに実際心から理解して身体で実践するまでに未だ到達できていない。。
今朝の練習はとりあえず呼吸を深める、吐くことをいつもより長くするように意識して取り組んでみた。 先週痛めた背中と腰はそんな1週間で完治するわけもないので痛みを抱えながらの練習だったけど、かかとを掴むことより呼吸を深めることを模索していると痛みの中にあっても痛さ加減がけっこう軽減されていた。 痛みや怪我の中で、わずかな光が見えるよう模索して練習していくのは大変だけれどとても面白い。 ヨガの練習で最も大事なのは呼吸、とよく昔から耳にタコができるくらい聞き続けている教えだけれど、こんな練習をしながらやはり呼吸なんだよな。と再び改めて思う。
じっくりゆっくりとしか進めないけれど、日々の練習の中でほんの些細な気づきがある日があったり、痛みの中で練習を快適にする方法を模索していったり、そんな日々の練習はやはり面白い。 新開地でマイソールクラスの前に一人で練習するのは孤独だけど静かに一人で練習する良さもあるよな、と思う。 先生に練習をみてもらう日、一人で練習する日、今の私にとってはどちらも同じくらい大切だなと思う。