頭で理解していることをちゃんと実践できるようになるまで
3月はじめにインドから帰国して自分自身の練習日記を全く書くことがないまま早2ヶ月近く経過してしまった。
マイソールでのシャラート先生とのカポタ特訓の後の日本での練習、まだ3月の日本は寒くてインドでの暑い気候での練習になれていた私はそのままインドでの練習と同じように練習していたら3月末くらいに肋間筋を痛めてしまっていた。 日本に帰国してから落ち込む日々が多くて沈んだ心だと呼吸も上手く入らず、胸も開きにくい状態だったのに特訓のことを思い出して同じように練習したものだからかかとキャッチできたほうの肋間筋の怪我を引き起こしてしまっていた。
本当に面白いもので心と体はやはり密接に関係していると改めて思う。 もう今は怪我もほぼ治り通常の練習に戻せているのだけど昔から習ってきていることを理解しているつもりでもいざストレスが過剰にかかり心が弱った状態だと昔の悪い癖が表に出てきて悪さをする。
呼吸が浅くなり、体がいつもより硬くなっているのにチャレンジ中のポーズをやりたい気持ちだけが先走り、結果、体を痛めるという。。
先を急ぎたい、そのポーズをやりたい、克服したい前のめりな気持ちは それでも昔よりはマシになったのか 以前ほど酷い怪我にはならなかったけれど。
怪我をした時には怪我をした時なりの練習の仕方があることを長い練習生活で私なりに身に着けてきたので以前のような怪我の上塗りのような練習をしなくなった。
昔から何回何十回と先生から習ってきたこと、呼吸の大切さ、 本当にとてもシンプルなんだけど、実はそれが一番難しい。
人はみんな生きている限り呼吸しているけれど普段、そんなに呼吸を意識していない。ヨガの練習をやり始めると呼吸に意識を向けることを教えられるので意識しだすのだけど、 でもいざ練習で呼吸と動作をしっかり連動させていくことを体で覚えていくには毎朝練習して何年もかかる。
それこそ私自身、呼吸を深く長くすることを練習中ずっとキープできているかといったら 最近になってやっと ちゃんとできてきたかなーっという感じだ。 一定の深い呼吸でビンヤサ通りに動いていくと 苦手なところの練習も何か最近ちょっとマシにできてきた感じがする。10年以上経過してやっと全身のパーツを気持ちよく動かせる感覚がでてきた感じがしている。
アシュタンガヨガの練習ははじめのうちは ポーズの派手さやどんなポーズをするかにばかり意識がいきがちだ。 このポーズができたら次のポーズに進める、とかいう独特の練習システムも練習生が次、またその次のポーズに意識が向くことを助長しているのかもしれない。
全くの初心者のうちはこのポーズをしなきゃ、と形を作ることばかりに意識がいって呼吸がとまっていたり、浅くなっているケースがとても多いように思う。 筋力不足や柔軟性がまだおいついていないこともあるだろうけど、呼吸がとまったり浅くなっている練習は筋肉がこわばり余計に練習しにくくなり、それでも無理くりやろうとするから とても大変で苦行のような練習になる。
練習生活が長くなってきても 目先のポーズに囚われたり、 できないことに躍起になったり、 ストレス状態によってもいつもいつも呼吸を深くずっとできるかといったら それはとても難しい。 だから毎日の練習でポーズと呼吸を連動させて深めていく訓練が必要なのだろう。
これは外付けの理屈や理論とかを足していくことではない。 余計なことをそぎ落として自分の内側を内観し呼吸を深めていく訓練、 ストレスがかかろうと何だろうといつでもできるようになるには根気強く継続して練習しなければ身につかない。
呼吸が深くなると苦行と思っていたポーズは快適になっていき、どこで吸うか吐くかのビンヤサに忠実になっていけば 苦手なポーズもいつかはできる日がやってくる。
それには集中も必要だ。 一人の練習でも大勢の中での練習でも意識は自分の内側のままを保って練習することが大切だと思う。
早朝、楽の森で練習している時は一人なので そういった意味ではとても集中しやすい。マイソール京都で練習している時もみんなそれぞれが集中しているので 気が散るような要素が全然なくて集中しやすい。
静かな楽の森での練習、この場所は定期的に座禅会も開催されているからなのか、 空間自体が静かに集中を促してくれるような空気が流れている気がする。 神戸でも京都でも私は静かに集中できる環境が好きだなぁと思う。
大人になると色々 自分が納得できる理屈を取り入れたくなるけれど 本当に大切なことはとてもシンプル。 集中で余計なものをそぎ落としていくとその大切なものが見えてくるなぁと感じる今日この頃の練習。
頭で理解していることを心から実感して実践するのに私は数年のタイムラグがあるようだ。こうやって文章に書いていると自分では理解しているように思えているのに いざ行動となるといつもいつもできているとは限らない。
それをちゃんと一致させていくためにも練習が必要なのだ。 だからやっぱり練習はやめられない。 だから練習は面白いし楽しい。 もちろん辛い時もあるけれど。 一筋縄ではいかないから一生続けていくものなんだろうアシュタンガヨガは。。