変化の波とヨガ
気づけばシャラでのクラスや自分の練習をやめてオンラインのクラスをするようになって2週間が過ぎた。 今までは楽の森のシャラで自分の練習をしてその後マイソールクラスで生徒さんを迎え、自分の練習では週に1回から2回京都に行って練習する日々から毎日自宅で練習し、自宅でオンラインクラスをする日々。 自分の練習でも宅練にシフトして8年が経過し9年目とかなので一人でも練習は全然できるけれど、やはり先生に見て貰えるのというのは違うなぁ。。と前職を退職してここ4年毎年数か月シャラート先生に習い行くルーティンができあがった後だと、その違いをつくづく感じる。
宅練でも集中力を高めて密度の高い練習をすれば十分に変わっていける。でもアシュタンギ生活3年目からの4~5年の宅練生活は振り返ってみれば濃度は薄かったような気がしている。あの当時は何よりも怪我に苦しんでいたので身体的痛みだけでなく精神的に打ちひしがれ怒りと悲しみのネガティブな思考からポジティブな思考に変化していくのに時間がかかったので身体的変化は二の次だったのだろうな、と思う。
今のこの状況ではシャラに通い、先生にアジャストをしてもらって身体的な感覚で教えをもらう、というのはなかなか困難だ。 だけど、この前の土曜日のシャラート先生のレッドクラスを受けて聞きなれた先生のカウントを聞いているだけで懐かしくてうれしくてついこの前のマイソール修行月間を思い出していた。 昔はシャラート先生のクラスを受ける、というだけでドキドキしてそわそわしていた。 初めての日本での先生のレッドクラス、2011年に初めて先生のクラスを受けた時のこと、 あの当時の私。 その次の年のマイソールは腰がぶっこわれたままマイソールに行って練習していた時のこと、、 今は気がつけばあれから9年の月日が経ち、先生の声やカウントをする先生のバックにマイソールの鳥の鳴き声が聞こえてくるだけでまたマイソールが恋しくて懐かしくなった。
自分の呼吸に集中していく中で、先生のカウントの声を聞く中で、ふっと、 なかなかポンコツの私の体だけど、心や体に刻まれたマイソールに通っていた時の記憶って積み重なっているんだな、、なんてふと思った。
今はオンラインのヨガクラスを日本中でも世界中でもこぞってみんな始める中でついにシャラート先生のクラスも受けることができたわけだけど、感じた懐かしさも嬉しさも先生に会って直接練習を見てもらっていたからなのだろうな、とか思う。 場所がどれだけ離れていて、国が違っていても画面越しでも繋がって練習できるなんて時代も変わったものだ、と思うけれど、その前提として今まで対面で習えていたからなんだろうなぁ、と思う。
初めて受ける先生のオンラインクラスもありなのだろうけどまたそれはそれですでに習っている先生のクラスの感じとはまた異なるのだろうなぁと思う。
どちらにせよ、一人でずっと宅練を集中して継続するのはかなり強靭な精神力がいる。週に1回でもシャラに通えていたら全然違うけれど、それも今のこのコロナの状況で叶わないならオンラインクラスでモチベーションをキープするのもきっとありなんだと思う。
でもコロナが落ち着くまでは対面でのクラスはなかなか難しいからオンラインで初めて会う先生のクラスや久しぶりに受ける先生のクラス、なんてのも全然ありだと思う。 在宅勤務やステイホームしすぎて運動不足になったり心が鬱々としそうになったらオンラインヨガクラスで気分転換して体を動かすときっと体にも心にも良い影響が出る気がする。
アフターコロナ、とかいう言葉も最近よく聞くようになり、コロナウィルス肺炎感染症の影響で世の中の色んなことがガラっと変化していきそうな感じだけど、ヨガはきっとなくならないと思う。オンラインクラスとか提供される形は変わるとしてもきっとなくならない。 ヨガの与える恩恵は今のこんな時だからこそ、余計に必要なんだと思う。