最近思うこと
今年の夏は尋常じゃないくらい高温になる毎日が続いているけれど、もう数えて10回以上の夏の練習を乗り越えてきたのでそこまで暑さに対して耐性がないわけではない。
早朝まだ真っ暗なうちから楽の森のシャラで独りで練習するのだけれど、最近になって少し夜明けの時間がまた遅くなったような気がする。 夏至のころはAM4:30にはもう明るくなり始めていたような気がするけれど最近はAM5:00くらいにならないと明るくなってこない。 毎日の日の出の時間や同じような夏の早朝でも熱がこもるような朝もあれば比較的暑さをマシに感じる朝もある。
毎日のそんな気候のささいな変化や自分自身の練習の変化もたとえわずかなことでも気づくことがあって面白い。
でも長く練習してきてマイソールクラスを主宰するようになって他の練習生とも数多く練習を共にしたり、生徒さんの練習を見させてもらうことで思ったことは練習を継続すること、10年とかいうスパンで練習を継続していくことがとても尊いものだということだ。
多くの人がアシュタンガヨガの練習を始めることが特に最近は増えてきたことは嬉しいことだけど、どれだけの人が10年後も練習を続けているだろう、とふと思うことがある。
まず最初に練習を始めてクラスでも最初は週1回でもいいから、そのうち練習回数を増やしていって、と練習生が負担に感じすぎないように言葉をかけるけれど、だいたい週1回だけでいいや、と思う人やレッドクラスしかクラスを受けたくない、と結構長い期間思いこんでいる人で練習が数年も続く人はほとんどいないような気がする。
アシュタンガヨガの練習は週1回や2回の練習は結構運動負荷の高いポーズの連続をこなして練習する度に筋肉痛になって、だから次の練習をする時には気合が必要になって、そんな「えいや!頑張らないと!」って気合もそんな何年も継続できないから段々と練習する頻度が減るから余計に練習に気合が必要というマイナススパイラルにはまって結局は練習をやめてしまう人達を沢山見てきた。
ところが週3回以上の練習、理想的には週6日の練習に次第にシフトしていくと、それはもう会社に出勤するがごとくの毎日の生活のルーティンとなっていくので、練習をするのにそんなに気合も頑張りも必要なくなっていくし、むしろ練習しない日のほうが血液循環の滞りと感じたり、なんか体調がいまいちなことを感じるようになっていくようになるので、むしろ週6日練習するほうが練習を年単位で継続していくのは楽になる。
でも週6日の練習を始めてまだ体の痛みや怪我といった一見、ネガティブなことに思えることにぶち当たった時にはその壁を乗り越える方法や考え方を習っていない人は心がぽっきりと折れて練習をやめてしまうケースも多々ある。
だから初心者のうちにどんなシャラに通っていてどんな先生や仲間に出会っているかがとてもその練習生の今後を左右する気がしている。私の場合は練習の初期の段階でそういった意味では良い先生達に出会えたことが今も練習を続けていられる大きな要因になっていると思う。 練習をどのような姿勢で続けていくのか、難易度の高いアーサナをしているからといって優れた練習生と思うのは大きな勘違いだとか、本当の意味でのアシュタンガヨガの練習を深めていくというのはどういうことなのか 言葉やマイソールクラスでの教えの中で学ばせてもらえたことは今も大きな財産になっていると思う。
ここ最近、週6日の継続的な練習を始めて12年近く経過して、やーっと、少しだけ地道に継続して練習を続けていくことでアシュタンガヨガの練習についてまた少し理解できたような気がしている。 それは単にポーズの進み具合とか、ポーズの形とかいうそんな表面的なものではなくて、 毎日毎日雨の日も風の日も嵐の日も コツコツとひたすらに練習を重ねてきたから感じられる感覚や理解できることがあるように感じている。
言葉でわかったようなことを書くことは簡単だけど、本当に本質を感覚として理解しているかはまた別の話だな、というのは最近になってとても思うし、こればっかりは本やネットでその言葉を読んだり聞いたりしても自分のものにすることはできないと思う。
私がアシュタンガヨガの練習に出会った時よりは今はとても写真や動画などでアシュタンガヨガのポーズを見ることは増えたし、得られる情報も増えた。 世の中自体がインスタントでイージーなものが簡単に手に入るようになったし、ヨガの世界もいかに早く難易度の高いポーズができるようになるか、なんてことが重宝されてビジネス的にはうまくいったりする。 ビジュアル的にわかりやすくて派手だと人も沢山来てくれる、とか。
でも。。私が習ってきたアシュタンガヨガの練習はインスタントでイージーなものとは対極にあるような気がしている。 時には心が折れそうになりながらも、それでも比較的早い段階から週6日の練習をコツコツと続けてきたから練習が好きで楽しかったから、アーサナ自体はまるで大きな岩を動かそうとするかのごとく毎日練習して進んでいくのにとてつもない時間がかかったとしてずっと続けてこれた。
簡単に手に入るものはすぐに飽きてしまうかもしれないけれど、なかなか理解するまでに時間がかかって苦労したことほど、ちょっとでも理解できるようになるととても嬉しいし、楽しい。私にとってはそれがアシュタンガヨガの練習なんだと思う。 まぁ、ちょっと分かった気になっていてもまた数年たったら別の感覚が出てきてあの時の自分はまだまだだったな、なんて思うこともあるのかもしれない。
この練習はポーズを通して自分の体の感覚や心の感じ方を磨いていく練習のような気がしていて10年単位の時間がかかるものなんだな、と改めて実感していたりする。 だから昔先生からヨガのクラスを教えようと思うならまずは10年はしっかり練習に集中しなさい、と言われたんだな、と今さらながらに理解した。
でも10年ややっと一区切りなだけであって、10年でも全然十分でないことも理解してきた。 少しずつ、自分の無智さ加減が見えてきて少しずつステップアップしていけるのかもしれない。
私に合うのは地味に地道にコツコツ、自分の練習もクラスもアシュタンガヨガ道を進んでいくスタイルなんだと。でもだからこそ、今まで歩いてきたアシュタンガヨガ道のおかげで人生に色んなポジティブな変化が生まれたのだと思う。
練習に何を求めるのかで、きっと習う先生も練習の仕方も変わってくるのだろう。 私の場合は今のスタイルが自分にしっくりきているから同じ先生に長く長く習えているのだろうな。
新しく練習を始める人はぜひアシュタンガヨガの練習が楽しくなるためにもぜひ週3日以上の練習をしてほしい。 シャラに週3日来れなくても来れない日はたとえ15分でもいいから太陽礼拝だけでも練習すると練習が続きやすくなるからトライしてみてほしい。
ふと最近の自分の練習や楽の森でのマイソールクラスの風景を見ながら思ったことでした。