苦手なことと向き合うことで浮き彫りになってくるもの
今朝も冬の寒い中、まだ真っ暗な中、家を出て練習に行ってきた。 神戸からはるばる京都まで。
家をでた時は雪は積もっていなかったけれど、京都に向かう電車の窓からは大阪から京都に入ったとたん、一面真っ白な世界が広がっていて、神戸とは全く別世界だった。
よりによってこんな雪の日にわざわざ朝早く2時間近くもかけて練習に向かうなんて我ながら物好きなもんだ、と思うけれど、寒くて朝練習をするのに気合がいる朝こそ、シャラに向かい練習するほうが練習に身が入るような気がする。
事務職OLの仕事を退職してからもう半年近く経過した。
とりあえず、インド、マイソールで長期間練習したくて、自分の人生の節目として2か月マイソールでシャラート師匠の下で練習するまで 次のステップに進む気がしなくて特に転職活動も熱心にせず日々が過ぎていった。
とりあえずヨガを心おきなく練習したい。 人にヨガを伝えることも深めていきたい、の想いはあれど、再びオフィスワーカーにもどるか否か・・・ 自分の中ではまだ答えが出せていない。
アシュタンガヨガの練習は相変わらず好きでずっと続けている。 でももう2年以上セカンドのバカアサナBでずーっととまったまま。
ダウンドッグからジャンプして手に体重をかけ、自分の脇めがけて膝で着地する。
これが私はものすごく苦手だ。
去年だったか、東京に練習に行って、 ブジャピタアサナの要領で膝を両腕めがけて離してジャンプしているとやり方が違う、と直されて 少しづつ腕に乗る、体重をかける、かかとはつけたままで・・のやり方にかえると、途端に思い切って飛ぶ、ということができなくなった。
なんちゃってバカアサナBをやりつづけていたら 最近京都では 全然飛んでないで、と指摘され、またブジャピタチックなジャンプに変えた。
何回やっても何回やっても、うまくジャンプできない。体をうまくコントロールできない。
おそらく恐怖心が強くてお尻を上にあげてジャンプできないのは自分でもよくわかっている。
苦手なことに向き合ってもがいて何回もトライして・・・ 毎日の練習が年単位で続いていくと、自分の悪い癖が浮き彫りになっていく。
私はどうしても頭でっかちに理屈や理論を先に考えようとする。 心で直感的に感じ、体を動かすことが物凄く苦手で怖がりだ。
だから怖くなくなるまで、 それこそ繰り返し繰り返し、何回も何十回も何百回も練習しないと向き合えない。
でも、その恐怖と向き合うのも 今のバカアサナのへなちょこさでは 果たしてできる日がくるのかさえも怪しい。
事務職の仕事をしていた時は仕事上、より頭で考え、先のことを同時進行でいくつも考え準備し、動いていかないと上手く業務をこなせない、と思って長年仕事をしてきた。
事務職をやめた今はそんな思考はもう必要ないのに、未だに今まで生きて培ってきた思考パターンからなかなか抜け出せないでいる。
そんな自分の思考パターンの頑固さに気づかされ、なんだか落ち込んでしまった。
もっと、直感的に生きれたらいいのになぁ、と思う。 ヨガのポーズができるとか、できないから、というより、苦手なポーズを通して自分の心を見る、という作業は 本当にセカンドシリーズに入ると顕著だなぁと思う。
これもまたヨガプラクティスの恩恵の一つなのかもしれないな。