マイソール練習日記2017 Part:11
昨日はムーンデイで練習がお休みだたので、朝ゆっくり8時に起きて、夜は今日のレッドクラスに備えて夜の8時半にベッドに横になったものの、前日寝過ぎていたのと、練習がなくてたいして体力も消耗していなかったのもあってか全然寝付けなかった。
ここに来てからテレビもないし、昼間の太陽の日差しで疲れやすくて、毎日夜8時半には寝て10時間睡眠をとっても 昼間ちょっと30分くらいお昼寝してもまだ寝れていたのに、昨日の夜だけは全然寝付けなかった。
練習ではやっぱり、それなりに体力を消耗しているみたいだ。練習前から並んで待っての待ち時間やサンスクリット語やスートラの授業もあるから昨日はそんな授業もない日だったので睡眠をそんなに欲していなかったみたい。
今朝はレッドクラスの日。 シャラタイム7時半スタートは一番最後の組なので 結構余裕でスペースがある。
ついつい一番前の横のほうにヨガマットをひいてしまったから私の左右は埋まっていたけれど、後ろのほうはあいているところもあって、広々練習できている人もいた。
レッドクラスの後は急いで家に帰って顔洗って着替えてカンファレンスに出かけた。今シーズンからなのか、前シーズンからなのかわからないけど、以前私が来ていた時よりカンファレンスでシャラにはいるのにもパスを見せないと入れてもらえない。
以前は結構チェックが甘かったけど、部外者の人も紛れて入っている事が多かったんだろうか。
今日のカンファレンスはスワミジといってインドのお坊さんが来られてた。
スワミジがシャラに来られる前いシャラートが少しレクチャーをしてくれてからスワミジが登場してお話をしてくれた。
この時はシャラートはインドの宗教服、というのか宗教用の礼服というのかを来ていて、サンスクリット語の先生のラクシュミーシュも同じく礼服を来ていた。
ザ・儀式、宗教って感じでおそらく日本でいうところの えらーいお坊さんが来てくれてお話をしてくれる感じだった。
サンスクリット語でワンセンテンスずつ、詠唱して、スワミジが英語でレクチャー、解説をしてくれたのだけど、英語のセンテンスの断片しか理解できなかった。 インディアンイングリッシュだからかな、それとも私のリスニング力不足のせいかな、と思いつつも頑張って耳をすませて聞いていたのだけれど、おそらくヴェータンダやウパニシャッドなど、インド哲学や思想の知識のベースがないと理解がついていかないような哲学の話なんだろうぁ、と思いながら聞いていた。
スワミが退出された後はシャラートのカンファレンス、質疑応答が少しあって、トータル2時間ばかしのカンファレンスが終わるころにはぎゅうぎゅうなスペースでじーっと座っていたので、お尻は痛くなるは腰も片側が痛くなるはで身体はヨレヨレだった。
カンファレンスが終わってから英語が達者な練習仲間と話すとスワミのお話はヴェーダやウパニシャッドなどの哲学のベースがないと単に英語力があるだけでは理解できないよ、と教えて貰って、 あー、やっぱり、インド思想や哲学のベースがないとしんどいなぁ、と聞きながら思っていたのと一致して納得した。
シャラートも言っていたけど、アーサナができたからってヨガの練習をちゃんとできているわけではない、アーサナはヨガの一部でしかないというのは確かにそうで、心のありよう、捉えよう、をいかに変化させるか、幸せに生きるために心をどう律していくか、というのがインド哲学、思想の中にあり、それを実生活に落とし込んでいく重要性をしみじみと感じた。
それには私はまだまだ哲学や思想の知識は勉強不足だ。
ニケタンでもよく、ヨーガ・スートラやバガバッド・ギータを勉強しなさい、ヴェータンダの思想を勉強しなさい、自分の価値観で良い悪いと判断するのではなく、ヨーガ的尺度で物事を見れるようになるにはまず インドの聖典をちゃんと勉強しなさい、と言われていたことを思い出した。
単なる学問としての哲学ではなくて、インド哲学、思想を実際の普段の自分の生活に落とし込んでいけるように、ここ、マイソールでアシュタンガ・ヨーガにどっぷり浸かりにきたのに、
やっぱ哲学の勉強はニケタンでまじめに日本でしよっと。と思った。
スワミのお話はよく理解できなかったけど、スートラやギータをお勉強するモチベーションをアップできたので、ためになったカンファレンスだった。
スワミジ、シャラートの後ろで写ってないけど、 お話の後にシャラに来てたお子ちゃまとシャラートの息子のサンバブ君にお供えの果物をあげてる場面